2007年05月10日

17歳の転機(英語を唄い始めたきっかけ)

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Cyndi Lauper"she's so unusual"(直訳で[彼女は変わってる。]って意味なんですが、邦題「ハイスクールはダンステリア」謎)
16~7歳の頃、わたしはCyndi Lauperの「time after time」を聴いて、意味も判らず感動しました。

洋楽は英語です。当然ですけど。
でも何故か涙が出る。
歌詞の意味も判らないのに涙が溢れてとまらない。

「英語なのに、どうして涙が出てくるの?」

それまでは、わたしは所謂今で言うJ-POP唄ってるだけでも十分だったのです。

でも、14~15歳の頃は洋楽を聴くようになっていました。
ちょうどMTV世代ですから。
『ベストヒットUSA』の時代。
マイケルジャクソンの「スリラー」見て本当にびっくりしたものです。

自分で言うのも変ですけど日本語でもわたしは、そこそこ上手に唄えたのです。
よく、唄ってましたよ。
アイドルとか歌謡曲とかニューミュージックとか。
洋楽も聴きつつ。
よく友達に「唄って!唄って!」と言われたものです。
物まねもよくやってましたしね(笑

でも、英語の壁は途方にくれるほど高い!無理!って思ってたんですけど
(3歳~5歳までフィリピンにいたので当時は英語を話せましたけどね。
帰国したら使わないようになって、すっからかんに英語なんて忘れてしまったのです。)

でも、「time after time」とか「crazy for you」とか「天国への階段」とか「見つめていたい」とか唄いたい・・・。(全部バラードですけどね)

当時は英語圏の外国の友人もいませんでしたから、英語の発音は独学です。

発音と音楽の先生は辞書の発音記号とレコードでした。

一日中、↑のアルバムを課題曲にして何十回も練習しました。
一フレーズ「if you lost ♪」って唄っても
「あ!『if』の『f』の発音、忘れてた。下唇噛むんだった!
lostだからRの発音じゃないんだっけ!」
こんな短いフレーズでも一生懸命練習したのは別に歌手になるつもりでもなく、
有名になりたかったわけでもなく。
増してやCD出す気もなく、
ただただ英語の唄が唄いたかった。
その気持ちオンリーです。

(因みに2枚目の課題曲が↓Cyndi Lauperのセカンドアルバム「true colors」です。)

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その次がJackson5やjanet Jackson,と言う具合です。

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↑めちゃめちゃ大好きでした!「controle」ジミー&テリープロデュース!
凄い練習しまくりでしたよ!
ハードロックも大好きだったけれどダンスミュージックも大好きで、
特にこのアルバムには影響をもろに受けたのでした。

もちろんDANCE!!!もね。(そうなんです。DANCEもPVが先生です。完璧、独学eli。
クラブで踊ってると『ダンサー?』って、毎回、聞かれますが、独学ですってば!)
わたしの唄にはbeat感があるんです。
わたしは体全部が楽器だ!と想ってるんです。

わたし本人は全然、想ってなかったんですけど、
むかーし元ラヴタンバリンズのドラム大町博道氏に
「eliちゃんはリズム感が良いし、ビート感がある。日本人には珍しいんだよ」
と言われて初めて知ったような有様です。
でも、DANCEだけでは唄のビート感は出ないのですけどね。

話は戻りますが
当時は80年代後半。
イカ天ブームの時代です。(本当に今の人がうらやましいです)
英語の唄なんて誰が聴いてくれますか?
特に大手のレコード会社が、わたしのような奴なんて相手にしてくれるはずありませんよ。
英語じゃ駄目って言われるんですから。
テレビ見てれば簡単に想像がつきます。

人前で唄いたかったけれど、ライヴやりたくても周りのバンドと言えば、、、コピーバンドでした。
当時は洋楽、唄う?だけでも、周りに嫌がられましたね。

「黒人になれるわけないじゃん。なのに、何で英語で唄うの?馬鹿げてる」
「そーいうのってダサいから止めてくれ」(当時のクラブ系はPUNKやネオGSでしたから。ご尤もですけどね。。。)

それで、わたしは、こう思ったのです。
「あー。わたしを受け入れてくれる場所なんて何処にもないのか。
黒人並に唄えるか?
そう思うと、そんなの無理だもんなぁ。
わたしの唄は誰も聴いてくれない唄なんだ。」

わたしは基本的にネガティヴで臆病な性格なんです。
ネガティヴ過ぎて、マイナス思考過ぎて、こうなっちゃうの。
わかる?
マイナス×マイナス=プラス思考といえば良いのでしょうか?

当時は「でも別に唄うのが好きなら一人で部屋で唄ってたって幸せじゃん。
唄えるんだもん。
唄うのがすきだもん。
誰も聴いてもらえなくてもいいじゃん。」
そんな気持ちに微塵の濁りもありませんでした。

でも音楽はわたしにとって最初で最後の砦です。
何もなかったわたし。
不器用で頭も悪くて何も持っていなかったわたしが得られた唯一の宝物は音楽でした。
これだけは、ゆずれない大切なもの。
だから、一般の人から見ると、きっと、業界の事情はまったく知らないでしょうから、
わたしのような生き方を損な生き方と思う人の方がほとんどでしょうね。

17歳のとき、英語の子音だけは1ヶ月でマスターしました。
閉じこもって毎日練習したんです。
完璧引きこもり。
おかげでデブになった(しくじった青春時代)
でも音楽の中にいると苦痛ではありませんでした。

慣れてきた頃に、テレコに自分、唄った唄入れてみたら
「わー外人みたーい!黒人の子供が唄ってるみたーい」と無邪気に喜んでたのです。(笑
そして段々、英語と日本語とではメロディの乗せ方が違う。
ビートが日本語だと出ない。
そんなことに気づいて、日本語を唄うのが、つまらなくなってしまったのです。
つまり、わたしにとっては英語と言う楽器の方が楽しかったと言うことです。
実際、英語の方が発音が多いのでメロディ作るのには非常に向いてる言語だって思ったからです。

(もちろん、日本語の唄でも大好きな曲いーっぱいありますが、どうも、わたし日本語唄うのが苦手なようです。日本語はシンコペーションし辛いんですが宇多田ヒカルさんの出現で変わりましたね。このことはまた後日にでも。)

10代に一人きり引きこもりで、こーんな練習や努力って思わないけど、ま、こういう事が先々、自分の特になるとか損になるとか、まったく考えていませんでした。
ニートの先取りですかね?(笑

ただCyndi Lauperみたいに唄えたらいいなぁ。
子供の頃のマイケルジャクソンのように唄えたら、気持ち良いだろうな!
そんな素直な気持ちだったのです。
最初は誰でもそういう気持ち出始めるでしょ?
その気持ちはどんどん膨らみ「わーこんな凄い唄、唄う人がいる!」という具合で、おかげでノージャンルな人になってしまいました・・・。

でも基本はROCKと黒人音楽全般ですね。(やっぱり大雑把ですわね)

なんだか話が飛びまくってますが、すみなせん。eli chaosですから。

まぁ、純粋に自分に正直にやってみて今、振り返っても良かったと思います。

確かに、わたしは幼少期に英語べらべらだったのは大きいでしょう。
面白い話があります。

10代後半かな?
テレビの教育番組で偶然「セサミストリート」がやってたんです。
テーマソングが流れたとき、ぞくぞくっとしました。
思い出したのです。
フィリピンにいた頃、よく見てた番組が「セサミストリート」でした。

"sunny day sweaping a clouds a way"♪

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「この曲だよ!懐かしい!この曲だ!」
テレビ見ながら叫びました。
もうフィリピンから帰ってきて10年以上も聴いてないんですよ!
しかも3~6歳の時に聴いてた曲。
「三つ子の魂百までも」ですね。

実はわたしの音楽のROOTSはセサミストリートのテーマソングだったのです。
今、あの曲を音楽家として分析すると、さすがです!よく出来た楽曲なんです。

関係ないけど、三つ子の魂で思い出しました。

マンゴーです。

6歳で帰国。
それ以来マンゴーなんて食べてないし味の記憶もなかったのです。
でも、ある日、そうですね。
12歳の時。
マンゴーが置いてあったんです。
匂いが充満してました。
当時はマンゴーなんて全国区じゃないですからね。
同級生は「臭い」を連発。

わたしだけ、
「これだ!懐かしい!この匂いだ!」そう言って齧り付き
『この味だ!わたしが長年求めていた味だ!』

海原雄山風に・・・

と、わたしにとって、お袋の味的存在は、どうも南国フルーツのようです。

ほんと、わたしにタイトルって意味ないですねー(苦笑

君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだね♪

eli


投稿者:eli  20:09 【】

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