3,11から1年が経ち
地震と津波だけで
何人も亡くなり、避難生活を強いられる人たちや
「ああ、親を失った子もいるんだろうなぁ」とか
疎開しなきゃいけないんだろうなぁ。とか自分なりに想像してみて
親戚の家に行くのかな?施設なのかな?行った先が優しい人だといいなぁ。。
自分も子供のころ、似たような思いをしたので(地震じゃないけど)
子供らの気持ちを思うと胸を締め付けられる。
だってさ
普通にお父さんお母さんと一緒にいたいじゃんか。。。
そんなのはセンチメンタルだ!と
湧いたイメージその物を
自分は無理やり、ごくんと飲み込んだものの
ぜーんぜん消化しきれないモヤモヤに
原発の爆発と放射能の問題があるんだろうね。
私の心の中で何一つ、上手に決着がつかない。
私は当然、ミュージシャンの友達は多い。
ナチュラル系や環境問題に敏感なミュージシャンや
レゲエのミュージシャンは基本的にケミカル嫌いである。
放射能なんて、ケミカルの中でもっとも怖い奴だから
そりゃ誰だって嫌いだ。
原発に対してはNOだが、先ずは被災地を復興させたい。と言う気持ちのミュージシャンもいる。
そんな風に思うのは、悪いことじゃなく、至って「まとも」だと思う。
実際に唄いに行き応援したり
唄じゃなくボランティアで行ったミュージシャンの友達も多い。
だけども
ナチュラル系でマクロビの人たちにとって自分の体が汚されるのは何よりも嫌うため、瓦礫問題についても激しく「NO!」と叫ぶ
そんな人たちと、ボランティアに行った友人との気持ちの温度差が生じ始めている。
本来は同じ方向を向いてたはずなのに。
それは、きっと、皆、同じようにモヤモヤじゃないかな?
と思います。
だから、こんなこと、わざわざ書いた。
本来は仲間だし
共に唄い
演奏をし
ただただ音楽が大好きな馬鹿であり
音楽を生業にしている。
ところが、瓦礫を受け入れても良いのではないか?と言うと急に関係を切られる。
実際に行った友達は瓦礫の多さに涙が出たそうだ。
そりゃ、目の前にして「この瓦礫は、ここで処分してちょ!こっちのほうまで汚染しないで!」なんて言えないし
逆にどうにかしたい!と思うのが人情である。
反対派は、どちらかと言うと、もうすでに南のほうに避難していて
ぶっちゃけ東京や横浜、私の住んでる湘南も「助からないほどの汚染地帯」と言う言い方で
「だから南のほうに逃げろ!」と言う。
そりゃ、当然でしょうね。
福一からの距離
宮古市 260km
横浜市 253km
川崎市 242km
相模原市 254km
横須賀市 267km
↑を見れば、ありゃりゃ
宮古市より横浜の方が近いじゃん!!!!!
と言うことは南のほうに逃げた人たちからしたら
「燃やすことで放射線が空中に飛び散り大変なことになる」と言うのは
瓦礫を持ってこなくても
横浜でも東京でも「燃やすな!一般ゴミも!」と言うことである。
理屈ではそうなるのだ。
もう避難しないことが「お前のせい」といわれてるような嫌な気分になる
ただ、「助けたいから」と言う気持ちがあることは確かで
そこから逃げろと言ってるんだと思うから
やさしさと受け取るけど
これは。。。福島に住んでる人、たまったもんじゃないなぁ。
なんか、放射能汚染されるのも自己責任みたいな言われ方だから
たまったもんじゃない。。もとは首都圏のための原発だからね。
と言うことを、また、グルグル想像してしまって
反対運動してる友達が嫌いになりかける。
と言う自分の中の嫌な感じ
若者風に言うなら、バッドなバイブスで心が支配されるが
そもそも
俺たち、何だっけ?
俺たち、ミュージシャンでセッションしたり
くだらないことでゲラゲラ笑ったり
飲んで唄って
ただのバカだけど
私みたいに昔から政治とか貧困とかギャーギャー言う奴もいたり
関係なく楽しくやる奴もいたり
でも、どちらにせよ
音楽家である。
私は、あまり環境問題を言う人が好きではない理由に
フィリピンに住んでたことと
施設だのグルグルタライマワシされ行くあてもなく
田舎に預けられたことが理由にあるから
きれいごとを言えない体質になってるんです。
それで、ナチュラル系が集まる場所に行くと私はパンクスなんで非常に浮くけど
しかも、ずっと毒を吐いてるし
それでもwelcomeされるのは
「eliちゃんってバックボーンがあるから、こうなんだ」って言う解釈で受け入れてくれてるからだろうな。
意見が違おうと
皆、私を受け入れてくれる友達だ。
瓦礫問題については
利権がらみである。とか
東電はさらに儲けるためである。とか
瓦礫拡散して証拠隠滅しようとしている。とか
いろいろある。
瓦礫を受け入れずに安全な土地を守り安全な食物を!と言う意見も判るしね。
私は、さきほどの距離のことから言えば、じゃー、どーせ汚染されてるなら受け入れれば?と言う意見である
(利権がらみの部分では、ちょっと考えが変わってくる。つまりモヤモヤである)
だから、まだ、なんとも言えない話である
私の中でも決着はついてなく
一応、反対する友人に聞いてみたんだけど
応えてくれない。。。
だから、この日記は瓦礫の話じゃないよ。イシューは瓦礫じゃない
課題は私たちの気持ちだ。
なんで私たちがいがみ合うんだろう?
苦々しい気持ちになるんだろう
同じ方向を向いてるはずなのに。
eli
必ず自分が絶対に正しいわけじゃない。と言うことを肝に銘じて





















































